■芸能通10周年コラム
(1)芸能通クイズ、その歴史

 「管理人であるにしじまが飽きたら辞めます」
 最初の頃はそう公言していました。
 今となっては、ぶっちゃけで書くと飽きた瞬間なんて数え切れません。

 そうです。こんな長丁場のサイト、飽きたその先だと思って続けております。
 思い返せば最初に「SUMMER」を作成した際、背中から声が聞こえた気がしました。
 「これを作ったが最後、お前はとんでもなく永い間苦労を背負い込むぞ、いいのか?」
 確かに聞こえました。実際、この長丁場の展開です。

 最初、自分は「伊集院光の深夜の馬鹿力」の「選手権シリーズ」ないしは「クイズQQQのQのQ」を掲示板サイトでやる、みたいなイメージで始めました。
 あっという間に盛り上がって、自分たちの色が付き始めて、このサイトはシメたもんだと思いました。
 当時、多くのテキストサイト管理人が夢見ていた「書籍化ドリーム」「プロのライター転進ドリーム」が嫌が応にも膨らむってもんです。
 ただ、盛り上がっていた間の管理は熾烈でした。芸能通と平行してやっていた期間限定も含めたら、その管理は今の3倍以上で地獄そのもの。到底ここで書いちゃうとアレな出来事も自分の身の上におきました。

 芸能通より人気があった期間限定のほうをやめてしまったのは、どちらかに絞らないと身が持たないという事情に基づいています。

 そんな膨らむ夢を乗せたにもかかわらず、大して現世的な成功もなく。結局2006年のオフ会の大成功という形でこのサイトは一度、絶頂を迎えます。
 日本全国から30人ほどが東京に集まるという奇跡的な集会でした。北海道から一人、四国から一人、九州からも二人。
 その浮ついた空気のなかで。上で書いた「ドリーム」を掴む人たちは、掴んだ後の事を考えてる人なんだろうなあ。自分はそう痛感し、無力感に苛まれました。絶頂に達したとき、自分はその先の事を何も考えていないことに猛烈に気がついたのですよ。
 まあ、たった30人でそう思ったんだお前、と謂われたらそれまでかもしれませんのう。小物で申し訳ないがな、たはは。来年は100人にしようとか考え付かなかったわけだあね。
 なんというか、やりきった感がそこで生まれてしまったのは事実。

 そして、本当に辞めようと思ったのはやっぱり結婚の時期であります。
 事実、更新をおろそかにしていたり副管理人に発表まで丸投げした時期もあった。我ながら最低だったと思います。あの時は本当に申し訳なかった。
 逆に言うとあの時期がなければ結婚できてなかったのですが、ただし芸能通がこうして結婚しても続いている一番の原因は、嫁の「続けてたほうがいいと思うなー」の一言なのであります。
 結局続ける結果になりました。
 
 そんな時期を乗り越えて、何とか低空飛行でも続けております。
 友人になった人にこのサイトを見せると、必ず驚かれます。
 「こういうサイトがまだ残ってんのか」
 的な意味で。

 場末のゲームセンター扱いか。はたまた田舎町で見つけた古い喫茶店か。
 田舎町に残った古い車両がやってくる私鉄の古い駅舎か。

 膨大な過去ログを整理していると、つくづく自分に呆れてしまいます。
 ひょっとしたら本当は、まだ飽きていないのかもしれません。